
ご紹介にあずかりました、藤本です。本日はお招きいただき、たいへん光栄です。私もそろそろ現役の締め括りに差し掛かっていますが、そのぶん、いま伝えたいことが明確です。上空の大戦略と、現場のオペレーションを行ったり来たりしながら、これからの日本のものづくりの「勝ち筋」を具体的に描いてみます。
最初に、今日の見取り図を二つ申し上げます。ひとつは、私の造語で「SDG」。国連のSDGsではなく、Sustainable・Digital・Globalの三つ巴。もう一つは私が20年ほど使ってきた「CAP」。Capability・Architecture・Performance。サステナビリティ、デジタル、グローバルの三本柱と、現場力・設計思想・結果の三本柱。この六つの視点で、ややこしい連立方程式を解いていきます。
いまサステナビリティの話を始めれば、5分も経たないうちにデジタル化の話にぶつかり、さらにグローバルな競争と協調の話が必ず絡んできます。EV、カーボンニュートラルから議論を始めても、すぐにソフトウェア・ディファインド・ビークル(SDV*)に飛び、最後は米欧中の連携・対立の構図になる。つまり「三つを同時に解く」設計=流れづくりが要ります。
* 車両の機能や性能をハードウェアではなくソフトウェアで定義・制御し、購入後もアップデートや機能追加が可能な車のこと
Capability(現場の組織能力)を磨く。Architecture(設計思想)で比較優位を見極める。Performance(収益・シェア・工場の選ばれ力)で実績を出す。リーン(TPS,トヨタ生産方式)で言えば200の基本ルーティンを日々積むこと、設計の価値(VE)と価格の適正を同時に上げること、そして工場が本社・顧客に「選ばれ続ける力」を持つこと。この三つを揃えるのが肝要です。
グローバルの上空から少し降りましょう。EVの議論は、SDV*に直結します。率直に言えば、車載モニターの中でアプリが「生きて踊っているか」が勝負です。残念ながら、今の日本車はここが弱い。アメリカや中国、テスラはもちろん、ベトナムの新興でも動いている。日本の車はモニターが「死んでいる」。だからこそOSの開発が急務で、国内でも本気の取り組みが進んでいます。OSが整った瞬間、話が一気に変わる可能性がある。その過程で、中国のソフト企業、ドイツ企業、日本の自動車メーカー、そしてデンソーさんのような部品・システムの雄を軸に、国際連携は加速する。私も中国の研究者と毎週のように現場データを見ていますが、統計が追いつかないほど連携が増えています。戦略(正論)だけでなく策略(したたかさ)まで視野に入れた軍師的発想が、官にも民にも要る時代です。
* 車両の機能や性能をソフトウェアで定義・制御するコンセプトのこと。 Software Defined Vehicleの略。
まずはCAPの一つ目、Capabilityについて。ここは私自身、1984年に大野耐一*さんに3時間直に教わった「流れ」の原点に立ち返るべきだと思っています。「コストを下げたければコストを見るな。流れを良くせよ」。流れが良くなれば、コストは下がり、生産性は上がり、品質も上がり、リードタイムは短くなるという普遍法則です。TPSを整理・整頓・清掃・清潔・躾にはじまる基本、ジャストインタイム、標準作業、アンドン、問題解決などの200のルーティンとして毎日積む。まず紙に現場の「流れ図」を描き、全社・部門・工程の赤信号(滞り)を見つけて、時間の流れ図に落とす。デジタルはその後で良い。私はこれまで1500回以上、国内外の工場を見てきましたが、最初にやることはノートを取ること。歩きながら、読みづらくても、徹底的に記録して考える。改善はこの繰り返しです。
* 日本の技術者・実業家。「かんばん方式」を中心にジャストインタイムと自働化を体系化し、世界に広まったトヨタ生産方式(TPS)の確立者
改善サイクルは単純明快です。設備の稼働を観察・可視化し、異常を検知し、原因を推定し、対策を実行して改善につなげる。このサイクルを回し続ける。従来は熟練者の暗黙知に頼ってきましたが、いまはAIとITを適切に入れることで、判断の質を保ちながらプロセス全体を飛躍的に円滑化できる。ただし、AIは「決める人」ではなく「気づかせる人」。アラートを出すのが役目で、班長・生産技術・生産管理が集まって意思決定する。リーンが主、デジタルは従。ここを取り違えないことが肝要です。
次にArchitectureについて。付加価値の正体は設計情報です。ものの値段から直接材料費を引いた部分が付加価値で、その源泉は設計。経済学はこの「設計」を200年ほど軽視してきたきらいがありますが、ハーバート・サイモンの『人工物の科学』が示すとおり、人工物の世界では設計が王様です。設計の特性(アーキテクチャ)には大きく二つあります。すり合わせ型(インテグラル)とモジュラー型。物理法則の絡みが強い、調整が多い、性能を出すのに集団の熟練とチームワークが要るならインテグラル。情報世界でロジックと言語で分割でき、寄せ集めで組めるならモジュラー。日本は前者に比較優位があります。長期雇用・多能工のチームワークで助け合いながら生産性を上げるという歴史的な現場力が背景にあるからです。だからこそ、日本は「面倒くさい製品」「流れの難しい工程」で強い。逆にデスクトップPCのようなモジュラー中心の世界では勝ちにくい。製品のどこがインテグラルで、どこがモジュラーか。自社の設計の比較優位と顧客の比較優位を丁寧に見極める必要があります。
Architectureの実例で言えば、日本電子さんの高度なインテグラルである電子顕微鏡だけをやっていた頃の利益率は5%前後。しかし同じ電子ビーム技術を生かし、半導体製造の電子描画装置(標準インターフェースの世界)に展開すると利益率は大きく上がる。技術が強いのに設計や商売が弱いと損をする、という日本企業あるあるの典型例です。すり合わせで真似されないものを作り、シェア一位で、しかも標準品の組み合わせも賢く使う。設計の比較優位を武器に、利益率も上げる。ここに日本の設計戦略の肝があります。
三つ目のPerformanceについて。会社が投資家に選ばれる力(収益・キャッシュフロー・株価)、顧客に選ばれる力(マーケットシェア)、本社に選ばれる力(工場の生産性・品質)。これらの裏には競争力の指標(コスト・リードタイム・柔軟性)があります。結局は付加価値の「流れの良さ」をどう上げるかです。
ここで統計の話に少し触れます。日本の製造業は「もうダメだ」という言説が多い。しかし、国のデータを丁寧に見ると、工業製品の輸出額は1980年代の30〜40兆円から直近では100兆円を超えました。製造業の付加価値生産性は30年でおおむね倍増。G7で製造業のGDP比が20%超なのはドイツと日本だけ。全体として停滞して見えるのは、非製造業の生産性が伸び悩んだためです。静かに、しかし着実に「どこかで誰かが輸出をしている」。岐阜の山間で30人の粉砕機メーカーが、リチウムイオン電池の原料粉砕で受注拡大し、年商33億円という例もある。名前は出せないが、こういう企業が全国に点在している。だから自己卑下は要らない。ただし現場の努力は不可欠です。
賃金の地政学も変わりました。1990年代、中国の賃金が日本の20分の1だった時代は、コストで勝てず、海外移転が常態化した。しかし中国の賃金はこの10数年で上昇し、差は2倍程度まで縮んだ。為替も含め、日本国内が最安という試算が出る案件もある。ベトナムでも賃金は年10%ペースで上がり、昨年600人の工場が今年は500人、検査員が一人で二台を見始めている。日本も同様で、価格転嫁が難しい産業では、残された変数は「生産性を上げること」しかない。付加価値生産性=価格×付加価値率×物的労働生産性。この三つ同時に上げる。現場の省人化、設計のVE、そして価値に見合う価格を恐れずつける。設計が良くなっているのに価格を据え置けば、事実上の値下げです。無用な値下げはやめる。総力戦で上げる。そうすれば「賃金を上げ、雇用を守り、史上最高益」も理屈の上では可能です。
では、具体的な現場のやり方に踏み込みます。まず「流れ図」を描きます。全社流れ図を書いて赤い滞りを見つけ、部門・ラインレベルまでズームインする。空間の流れ図と時間の流れ図を並べれば、加工時間が170秒でもリードタイムが何日もかかっている、という「現実」が見えてくる。付加価値の正味時間*が0.05%なら、0.5%にするだけで理論上リードタイムは1/10。歩行動線、部品の位置、段取り、機械の配置。手を入れる場所は山ほどある。私は弟子たち200人ほどを、見たことのない現場に3日間放り込んで、ビデオとノートで動線を追い、3週間で省人化1人分をほぼ確実に出す訓練を20年やってきました。まずは紙で書く。それをデジタルにする。背景は三次元点群データで時々更新し、人やロボットの動きはマネキンやビューワでアニメーション。最終形は「動く現場モデル」をつくること。動くといっても5秒に1回でも動けば十分です。止まった場所、列車のように詰まった場所、30分後に渋滞する兆候が可視化される。真ん中にこの統合モデルさえあれば、標準作業票、アンドン、生産管理板など必要帳票は自動的に出せる。AIはこのモデルを見てアラートを出す。「あそこ止まった」「30分後危ない」。人が集まり、意思決定する。デジタルはリーンの従僕。主役は現場です。
* 作業や工程において付加価値を生み出している実際の作業時間
「人」に関する議論を続けます。日本の強みは、高卒・高専出身の現場人材の層の厚さと優秀さにあります。ドイツのマイスターは職人として卓越していますが、数学的基礎を広く備えた現場人材を多数育んできた点では、日本に分があります。現場から選抜した人材を半年ほどDX推進本部に「留学」させ、戻した後はベテランが「島耕作」的に伴走して古い慣習で潰さない。このヒューマンファクターを丁寧に設計・運用する会社では、DXが根づきます。逆に、送り出しっぱなしで戻り先に放置すれば、うまくいきません。目指す姿は、80%稼働で渋滞してしまう工場を、90%でも渋滞しない工場へと高密度で安定稼働させることです。高速道路の車間距離制御に似た世界で、たとえ話としては大胆ですが、全員がF1ドライバー並みの「流れづくり」を現場で安定して実現できれば、誰も追いつけない。そうなれば「面倒くさい仕事は日本に任せよう」と言ってもらえます。不戦勝に近い勝ち方です。
日本型DXの要諦は、人を中心に据えることです。中国や欧州に見られる「上からのリモート制御」型にも成功例はありますが、日本は現場近接型のコックピット(大型モニタで三次元の流れ図を見ながら、現場と直結する分析拠点)と、ライトブルー人材(平時は改善・モニタリング、必要時は現場で体を動かせる)の二本柱で進めるのが合っています。育成では、現場の優秀な高卒・高専人材を選抜してDX推進拠点に留学させ、戻したら組織が本気で支える。送り出しっぱなしで戻り先に孤立させるのは最悪です。管理職が伴走し、古い習慣を変えるための後押しをする。それが、人を活かし、定着するDXです。
デジタルの層で言えば、上空(サイバー)は日本は弱い。GAFAや中国勢に席巻されている。ただし「むしり取る」戦略はある。村田やソニーのように、上空から価値を引き出す。一方、地上(フィジカル)は日本の強みが健在しています。勝負どころは中層、サイバーフィジカル層です。ここはまだ勝者がいない。リアルタイムでフィジカルとつながり、オールタイムでサイバーとつながる中間層。デジタルツイン、エッジコンピューティング、IoT、インダストリー4.0、ソサエティ5.0。顧客と信頼に基づくデータ共有は日本が強い。小松のコムトラックスのように、売りっぱなしではなく稼働を良くするサービスで価値をいただく。オプテックスのように、センサー単体売りからAI処理を含むソリューションで誤検知を減らし、駆けつけ要員を減らして黒字化する。BtoBのプラットフォームは日本にチャンスがある。ただし、アースブレイン社の取り組みのようなライバル同士のデータ共有は世界的にまだ解けていません。ここを解いたところが勝ち組になります。
最後に「中規模国の戦略」を確認します。日本は1億人の中規模国です。製造業就業者は約1000万人。中国はおそらく3億人。大平原で正面決戦をすれば不利です。だから自由貿易を堅持し、比較優位に集中する。面倒くさい製品、面倒くさい流れを、日本に任せてもらう。スウェーデンやフィンランドのように「中くらいの規模なのに、存在感がある国」。日本も漫画・アニメを含め文化の存在感がある。ものづくりでも、好感度の高い存在感を維持したい。
アメリカの現場の話も一つ紹介します。向こうでは高卒一年目で時給30ドル、残業すれば年収1000万円。そういう国で製造するには、得意なところに徹底して絞る必要がある。日本の工作機械メーカーが、数千万円の巨大工作機械を日本・アジアで作り、アメリカに持ち込み、現地で搬送系とソフトを組み合わせて「ラインとして売る」。アメリカのプロセスエンジニアは寄せ集めの達人で、べらぼうな値付けで売る。日本人はこれが苦手だが、両者が得意を生かし合えば両方儲かる。これが自由貿易の比較優位です。
SDVの話で言えば、車内の安全クリティカルな組み込み系はウォーターフォール。上のコネクテッドやユーザー向けアプリはアジャイル。両者が同時に動くから、真ん中にOSが必要。全部自前は難しい。上(アプリ)でアメリカ・中国と連携し、下(ハード・制御)で日独が強みを活かす。斜めの連携や資本提携で補完する。ドイツは中国との連携を積極化、日本は慎重だが動き始めている。競争と協調の切り分けを高度にやる「軍師」が、官にも民にも必要です。
結びです。30年ぶりに「生産性の底上げ」が日本の至上命題になりました。リーンとデジタル、そしてサステナブルを同時に回す。良い設計の良い流れをつくる。現場のケイパビリティを磨き、アーキテクチャの比較優位を見極め、パフォーマンスで選ばれ続ける。DXは人を潰さない。AIはあくまで気づかせる人。人がAIを使いこなし、成長する。ものづくりは流れづくり、流れづくりは流れを作る人づくり。だから、ものづくりは人づくりです。
私もまだ工場を見続けます。ノートを取り続けます。皆さんと一緒に、日本のものづくりの次の「流れ」を作っていきたい。ありがとうございました。