皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました東京大学の梅田です。私からは、社会連携講座の中で私たちが中心に取り組んでいる「デジタルトリプレット」について、現場での使い方と研究の具体像を、できるだけわかりやすくお話しします。
最初に問題意識を共有させてください。私たちの前提は大きく変わりました。パンデミック、地政学リスク、災害、サプライチェーン分断などの社会的混乱が常態化し、平常時だけを想定した設計・運用では持続性が担保できません。一方で、日本企業には、熟練者の暗黙知が属人化したまま退職とともに失われるリスク、そして「DX」という言葉だけが先行し、デジタルから価値を生む仕組みまで踏み込めていない現実があります。現状維持の心地よさの裏側で、知が失われ、現場が細る、ここを変えたい。それが私のモチベーションです。
では、どこから手を付けるか。私たちは、現場の人が主役であり続ける「デジタルの使いこなし」を再設計し直す必要があると考えました。インダストリー4.0的な上位にコックピットを置いたトップダウンの遠隔管理は、有効な場面もありますが、日本の比較優位である「現場のエンジニアが日々改善し、ライン自体を成長させ続ける」営みとの相性が良いとは限りません。立ち上げ、保守、改善、異常対応、人がいなくなる生産システムは現実には存在しません。だからこそ、現場の人が問題を見つけ、仮説を立て、必要なデータを取り、適切な道具で分析し、評価して、対策を打つ。この一連の問題解決サイクルそのものを支援し、形式知として蓄積・再利用する。そこにデジタルの力を有効に活用する。これが私たちの「デジタルトリプレット」の出発点です。
デジタルトリプレットは、従来のデジタルツインに「知的活動世界」を加えた三層構造です。
物理世界: 実際の工場・設備・工程。センサー、制御、作業、立ち上げ、保守、改善といった現場の営み。
情報世界: データレイク(時系列・画像・3D点群)、工程・設備の物理モデル、シミュレーション、AIによる解析など。
知的活動世界: 現場の人が、デジタルツインを活用して、問題解決を行う場。その過程を形式知化すれば、何を測るか、どの道具でどう分析し、どう評価して、どの順番で手を打ったかというプロセス知識を収集することができる。
この「知的活動世界」を明示的に対象化し、データ・モデル・AIと結びつけて育てる点が、従来のデジタルツインと決定的に異なります。言い換えれば、デジタルは「現場の問題解決をナビゲートする伴走者」であり、ボタン一つでオートマチックに解決してくれる魔法ではない、という設計思想です。
ここから具体像に入ります。私たちは現場の問題解決を「エンジニアリングサイクル」と呼び、以下のように捉えています。
この過程で重要なのは「何を、どの順で、どの道具で、どう判断したか」というプロセスの記録です。幸い、今日の現場はデジタル道具を使っています。センサーで何を取った、動画のどの区間を解析した、どのモデルを適用した——こうした履歴はデジタルに残ります。これに人の意思決定(なぜその道具を選び、どう評価して次に進んだのか)の記録を重ねれば、熟練者の問題解決の「動態」を保存できます。
そのために私たちは、IDEF0*¹系の記述を拡張した「PD3*²」というプロセス記述フレームワークを用い、作業のプロセス帳を作ります。社会連携講座に先立って、デンソー様とNEDOのプロジェクトで、ライン停止時の改善プロセスをエキスパートに詳細ヒアリングしながらPD3で書き下ろしました。各ステップに、使ったデータ、用いたツール(ソフトウェア・ハードウェア)、読み取ったポイントを紐付ける。この「お手本」をもとに、次の段階として「エンジニアリング・ナビゲーション・システム」を構築します。
*¹ システムやプロセスの機能を階層的な図で表し、入力・出力・制御・メカニズムの関係を明確化するモデリング手法。Integrated DEFinition for Function Modelingの略
*² 稼働分析や工程知識を記述・推論するための言語・フレームワーク。 Process Modeling Language for Digital Tripletの略。
エンジニアリング・ナビゲーション・システムとは、平たく言えば「お手本のプロセスに沿って現場の問題解決を誘導するソフトウェア」です。お手本のプロセス帳から仕様を切り出し、必要なプログラム部品を組み合わせて、対象ラインに合わせたナビゲーションを作る。ここは自動生成というより「半自動+人の設計」です。ラインごとにクセがあり、設備モデル・データの仕様も異なるため、現場に合わせてチューニングします。
この枠組みが効くかどうかをデンソー様の実ラインで検証しました。未熟練の技術者に、IoTのデータ群だけを渡して問題解決をしてもらう場合、PD3のプロセス帳(文字列の手順)を渡す場合、ナビゲーション・システムで誘導する場合を比較したところ、正答率(熟練者に一致する対策に到達できた割合)も解決時間も、ナビゲーションが最良でした。つまり「プロセスの形式知化+状況に合わせた誘導」は、未熟練者の現場力を底上げできることがわかったのです。
ここからが、社会連携講座の本丸です。私たちが目指しているのは「汎化プロセスモデル」の確立と、その「プラガブル(差し替え可能)化」です。意味は二つあります。
汎化(Generalization): 手順の普遍部分(考え方、段取り、必要データの種類、評価の枠組み)を取り出し、他ライン・他工場でも通用する「お手本」として整える。
プラガブル(Pluggable): 設備・工程・データ仕様が異なる現場に持ち込んだ際、新しい工程・設備モデル(階層・機能)と結び直すだけで、その「お手本」がそのまま動く。必要なツール群(動画AI、設備モデル、シミュレーション、時系列解析など)も差し替え可能にする。
これができると、熟練者の暗黙知が「工場間で移動できる知識」になります。新しい工場で設備モデルを定義すれば、ナビゲーションとプロセス帳がその工場の文脈で機能し、未熟練者も支援を受けて改善活動ができる。第一期の前半で、技術的成立性の実証まで持っていきたいと考えています。
並行して、講座全体の他の研究テーマ(設備モデルの階層化、動画AIによる異常検知、原因推定のグラフ化、知識ベースの自動更新など)を、汎化プロセスモデルの「部品」として統合します。太田先生が示した設備・工程モデルの階層構造に沿って、どの機能階層のどこで不具合が生じたかを構造化して記録する。動画AIは正常の揺らぎを含む時空間分布を学習し、逸脱を異常として検知する。原因推定は、グラフ知識から類似ケースを引き当てて候補原因を提示する。これらを「どの段階で、どの情報・道具を使うか」というプロセス帳に埋め込み、ナビゲーションに組み込む。現場に返し、使ってもらい、フィードバックで磨く。知識は使われ続けることで陳腐化せず、スパイラルアップします。
実運用の検証環境として、ラーニングファクトリーを使います。今日ご覧いただいた方もいると思いますが、学内の実験ラインで、レゴ部品を用いた自動車モデルを12の作業工程で組み立て、3台のロボットが組立・検査を行い、多品種少量で運用しています。物理ラインとサイバー空間のデジタルツインは正確に同期し、意図的な停止や異常発生が可能です。エキスパートがどう観察し、どの順で解決したかを、データ・動画・ツール履歴・意思決定の記録として取得する。暗黙知の抽出を「サイエンス」として扱うには、再現性のある場が必要で、ラーニングファクトリーがそれを提供します。
この講座の出口は、実用の「デジタルトリプレット」を完成させることです。属人化からの脱却は、どこまで形式化できるかにかかっています。とはいっても全部は書けません。人の観察力、場の空気、手触り、記述が難しい部分は残るでしょう。それでも、データ・モデル・道具の履歴と意思決定の筋道を記録することで、「使いこなしの知恵」をかなりの部分まで形式知化し、再利用可能にできます。そして、現場で使い続け、成功・失敗の運用履歴を蓄積してスパイラルアップする仕組みを作る。これが日本型ものづくりの核心です。平常時だけではなく、社会的混乱が続く時代でも機能するかを確かめたい。国内のハイコンテキスト社会だけでなく、アジア各国の工場でもきちんと動くかを検証したい。デンソー様の海外拠点での適用を通じて、エッセンスを抽出し、汎用性を高めていきます。
最後に、設計思想の確認です。インダストリー4.0的なトップダウンと、日本のボトムアップの現場力は対立させる必要はありません。上位の見える化・最適化は活かしつつ、主役は現場の人。デジタルは「現場の問題解決の伴走者」。AIは「決める人」ではなく「気づかせる人」。人がAIを使いこなし、現場力を高める。この前提を崩さずに、トリプレット(三つの世界)を結び、知を流し、学習し続ける運用基盤を作る。これが、私たちの「デジタルトリプレット」です。
第一期の前半では、プラガブル汎化プロセスモデルの技術的成立性を示し、ナビゲーション・システムの現場適用を複数サイトで実証する。後半では、知識ベースの自動更新の仕組みを整え、教育プログラムに落とし込み、現場の人が自分の言葉で学び、使える形にする。講座の柱が相互に噛み合い、現場で回り始めることを目標に、チーム一同で進めます。私からは以上です。デジタルを、現場の人のために、皆さんとともに、具体を積み上げていきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。